羊の羊による羊のための攻略Book

羊のおニート脱出日記

「働きたくない」というあなたへ①/山田ズーニー

多分私は決して「働きたくない」と思っている訳ではない。むしろ働きたい。

でも働くためには理由が必要で、明確な目標がないとどこにも雇って貰えない。私は多分色々ふわっとしている人間なので、何もなくてちょっと行き詰っている。いや、責任を負いたくないだけなのかもしれない(私の思い込みなだけで雇ってくれるところはあるかもしれない、技術もないくせに私の理想が高すぎてより好んでいるかもしれない)

最近孤独が極まって、社会で自分の存在意義を感じるにはやっぱり働くことだ。とやっと実感するに至った。働きたいとは思っている。人のお金で生きることは肩身が狭いということも身をもってわかった。私は自分自身の力で生きられるようになりたい。

この結論に達するまでに、今まで何度も人が働く意味や生きる意味について考えなければならなかったし、今も少し迷うとそこに行き着いて哲学的な問いでぐるぐるしてしまう。・・・自分のお金で生きたいというくせに働かなければ生きていけないという危機感が実のところ全くないのが目下の悩みではある。本当に自分でも意味がわからないくらいにない。親不孝だとか甘えだとか言われても仕方ない。(最近ちょっとこの状態から脱したいという気持ちが出てきた、甘えといわれることも覚悟しなければ何も進まないという心持ちが出てきた。が、私の頑固な概念を覆すには「普通だから」「常識だから」のアプローチではきっと足りないんだと思うし、自分の非を指摘されるのはわかってはいてもやっぱりちょっと怖くもある。ドキドキしている)

人のために仕事をするんだという気持ちや、なぜ嫌なことを我慢してまで生きていかなければならないのかという、当たり前のことが根本的に理解できない。(理屈としてそういう概念が存在することはわかる、人生は楽しいことばかりでないこともわかる。自分が色々な愛情を当たり前にかけて貰って生きてきたということもちょっとだけわかるようになった)でもそれが自分の腑に落ちる形で納得することができず、社会を担う者として後世にフィードバックする立場の年齢であること、自分が当然のようにすることなのだという結論にどうしても繋がらない。困っている。

多くの人はきっとそんなところで疑問を持たないだろうということもわかるけれど自分はそれで納得できないからそこで躓いて、考えすぎて一歩も踏み出せずに何も出来ないといった事態に陥る。これを言うとものすごく自己中心的であることは承知しているのだけれど、私は自分のためにならないことや自分が損をすることが本当に許せないんだと感じることがある。自分が大事にされたいされたいで、いつまでも他人に対してリターンを返すという段階に行き着かない。寛容性に欠けている身勝手な人間なんだと思う。働かなくても生きていけてしまう有り難い環境にある恩恵を感じきれていない不届き者なのかもしれない。でも他人に嘘がつけない(嘘をつくのはいけないことだと思っている)上に自分の気持ちにも嘘がつけないので、適当なことを言って割り切って面接を通って就職するなんていう器用さや図太さがない。困っている。

私は働きたくない訳ではないが、何が何でも働くんだという感覚が驚くくらいない。なので働きたくない心理を働きたいと思わせる為の何かがこの本に書いてあるのではないかと手に取った。

「行く場所」と「帰る場所」

ひきこもりをしていてわかったことがある。行く場所がない生活はしんどい。ひとりだとろくなことを考えないで日光にも当たらず布団からも出ずにぐるぐるする。結果、何に置いても「私は誰からも必要とされない」とかに行き着く。私が自分の甘さを世の中から突きつけられるのが嫌で外にでないという手段を選んでいるのにも関わらず。可哀想でいたいイタイ自分を認めるのはだいぶ辛いものがあるが事実だから仕方ない、社会との関わりを絶つのはよろしくない。だからこれから復帰できるだけの手段を探す。

もっとも帰る場所はそれ以前に大切で、それを確保して貰えているから前に進めるのだということを忘れてはいけないと思う。きっと私の今の状況は誰から見ても甘えでしかない。それが一般の感覚。でも他の誰が何を言ったところでそれは羊家の問題。・・・というのをべったり甘えている側が申すのもなぁ・・・とも思うけれど、世間の常識や人目を必要以上に気にして萎縮し動けなくなってしまう怖れがあるので、それならば甘えとして割り切ったほうが良いし、合意は取れている・・・と思っている。それはきっと愛情があるからこそなんだろうとなんとなく思う(申し訳ないことに私の頑なな脳みそでは本質的な理解はしてないけど・・・)。本当にありがとう・・・。

人は何で働くのか

・お金のため
・自分のため
・人のため

加えて「人の役に立つため」という考えがあった。

・・・正直現状では自分のためであるという理解だけ追いついている。自分を向上させたいという気持ちは多分ある。お金のためという事実もわからなくもない。(危機感は足りないけど・・・)
家族のためや、人の役に立つという意識は無くはないのだけれど、他人より自分が大切にされたい思いが非常に強いのがなんというか家族に申し訳ないと感じる。どうしてここまで自分大事が止まらないのかわからない。どうやったら人を思いやれるようになるだろう。



働くということは

まず、自分という氷山にもぐり自分と通じ(自己理解)
次に仕事について掘り下げ(仕事理解)
業界をめぐる社会的背景やお客さんについて理解する(社会認識)

この3つを揃えて将来の展望とし、「その仕事に就いて私がやりたいこと」を打ち出すらしい。・・・らしい。。。。

面接に受からない訳だ・・・。

私は多分自己理解の段階でさえもつまづいている。自分の凝り固まった発想はどこか世間とずれているらしい。(そのことにも今まで気付いていなかった。私は正しいのだと思っていた)だがそれがどこからくるものかわからない、どうやったら覆せるかも。ずれていることを認知したらしたで、私がおかしいのだと思われたくなくて人と関わらないという究極の選択肢を取ってきた。やりたいこともわからない。社会の役に立とうとそもそも思っていないかも・・・いや、そんなこともないな・・・。具体的な方法が見出せないだけで。
現実逃避も甚だしいが、現実逃避でしか自分を守れなかった一面もあるので過去は仕方がない・・・。これから現実と向かい合い無作為に歳を重ねたツケを自分で払わないといけない。それが少しでも払いやすいようにこれ以上現実逃避をしないように踏みとどまらないといけない。誰も楽になんて生きてない。多少の傷つきで凹みすぎないように。チャレンジすることを怖れないように。



自分で考えて決める

「とにかく親にお金を払ったほうがいいぞ」

本にはそう書いてあった。耳が痛い・・・。私は未だに親のスネをかじっている。恥ずかしく申し訳なく思う気持ちはある。(だが・・・何度もいうが行動には繋がっていないし実感が乏しい、それを自分が一番よくないと思い、なんとかしなければと思っている)

だが、世間にも親に感謝の精神が乏しい人はいるらしい。何故なのか。

頭では、感謝しなければと、よくわかっているし、人を気遣う優しい心も持っているのだが、でも、「いまひとつ愛を実感できていない」
・・・
もっと言えば「奪われたような感覚さえある」

・・・ほう。なんだか当てはまる気がする。

将来のため、あなたのためと言い聞かされてレールの上を歩いてきたけれど、ちっとも自分のためになった実感がないってことかな。多分そこに愛がない訳じゃないんだよね・・・。親はそれが子どものためになるんだと本気で思ってるんだ。(と、最近は思えるようになった。一時期は親のエゴにしか見えずにこじれにこじらせていた)
本当に愛ってなんぞ・・・と思ったときもあったし今も正直よくわからないけど、現状の何の生産性もない私のチャンスを信じて、見返りも求めず、今の環境を与えてくれることはきっと愛以外での何物でも無いんだろうな、という結論には達した。

でもたぶん、いきなり「親にお金を払います」ってのは現実として難しい・・・、甘えだってことはわかりきってるけど私が取れる手段は、自分の責任の範囲を少しずつ増やしていくしかない。それは今まで親に頼っていたことの比率を減らして他で補ったり自分のことを最後まで自分でやるということを決断していくことだと思う。ただ何もかも従来どおり全力でやると配分を間違えて肝心の日常生活が送れないとわかったので、そこには誰に何を頼るかの判断も含まれる。

「自分がお金で苦労してきたから子どもにその苦労はさせたくない」と母が言ってくれたことを、私はとても感謝している。私はその面での苦労せずに過ごせてきた。
それに気付くのにこれだけ長くかかって本当に申し訳ない、きっと今初めて点と点が線で結びついたみたいに、その有り難さに気付いたんだと思う。今は楽でいられる環境を手放さなければいけない時期で、それを私が決断するまで待ってくれたことに感謝している。

だからちゃんと「期限の合意」をしたい。私は親に「お財布」でいてほしい訳ではない。スポンサーとしての価値を見出している訳ではない。消耗品として扱いたいわけでもない。私は自分が大事すぎる傾向があるけど、私に注ぎすぎて路頭に迷って欲しいわけでも無い。ちゃんとそこに愛情があって初めて今が成り立っているということを知っている。

面と向かって真面目な話をするのはお互いに大の苦手の羊家だということはわかってるけど、次に話すときはそのあたりをはっきり話せたらいいと思っている。

後日、議題をまとめる。


これだけ書くのに5時間くらいかかって食事が疎かになるところだったので続きはまた。

・・・というかこんな延々と考えている暇があったら何か行動をしろ、思ったよりきっとなんとかなるものだ。ということは思わないでもない。
ただ私には自分の中で道筋を立てることが必要なんだと思うし、考えた過程や思ったことを表に出す練習が必要だとも思う。

せめてもうちょっと短い時間で考えがまとめられるようになりたい。