羊の羊による羊のための攻略Book

羊のおニート脱出日記

あれこれ考えすぎて"動けない人"のための問題解決術/倉成央

読んでみたまとめ、感想、課題。



いまいち腰の重い行動力が無い理由は何故か。決してやりたくない訳でもさぼっている訳でもないのに動けない、頭の中は常に忙しく幾つもの懸念が渦巻いている。ある意味非常に慎重である人たち。彼らはどうして動けないのかという問いをこの本は投げかけている。

そういったときにアドバイスされるのは「悩んでも仕方がないからやってみたら?」という言葉。私も身に覚えがある。正論だなとはわかるけれど、それが出来たら苦労してない。

そうやって行動ブレーキがかかってしまう人というのは、積極性がないのか?行動力がないのか?前向きではないのか?そうではない。心配して不安になっているから。

行動にブレーキをかけてしまう心配や不安を解決するには、心配や不安の根っこを解決することが大切です。その根っこは「私は行動してはならない」のインナーメッセージです。


「考えること」と「心配」は違う


行動の足を止めるのは心配である。そして、彼らは後で悩まないようにきちんと最初に考えておきたいと思っているらしい・・・とてもわかる。

しかしそれは本当に「考えて」いるのか?

・考えているというよりも次々に心配が湧いているという感覚を感じており、
・考える対象が具体的な事実に関係することではなく"空想"になっているのです。


考える=主体的な行動
心配=勝手に沸いてくる、対処せざるを得ない

主体的な行動でないため、心配することを自分でやめることが難しく、本人が空想した良くない未来について考えているだけであるとのこと。なので、人に何が心配かを聞かれても具体的に答えられない。

うーん・・・私も毎日頑張って色々考えているんだと思っていたけれど、空想か・・・。空想なのかこれは。

私は自分が行動に移せないことには全て理由付けて紐解くことができるものだと思っていて、考えることはそれを突き詰めているんだと思っていたけれど・・・。
(もしかしたらそれは過去の思い込みも含めて理由付けているから、原因があると自覚している分例に挙げられたケースとは悩みの段階が違うだけかもしれない)



行動を妨げる3つの不安

①自分に関係する不安
②他者に関係する不安
③世の中や将来に関係する不安

①・・・自分にそれをやる能力があるか、自分にそれをやる価値はあるか(いやない)という歪んだ思い込み
②・・・人は自分をどう思っているか、人から馬鹿にされるという不安
③・・・この先は悪いことばかりという思い込み、悪いことが起きないよういつも心配している




乗り越えた思い出にこそ目を向けたい

世の中や未来に不安が強い人たちは、世の中や未来がもっと安全であるという事実を認識することが大切です。
・・・
悪いことが起きたという記憶に目を向けるよりは、それを乗り越え、100%満足いく結果ではなかったかもしれないが、とにかく何とかなったという記憶に目を向けるのです。

ここに私の課題があるんじゃなかろうか・・・。
・乗り越えたという実感がない(現在進行形で乗り越えられていないニート)
・成功体験より失敗体験のほうが圧倒的に多い。
・成功するほど自らやったことがない気がしている(これも思い込み?)

ポジティブにいこうよ、ということがなかなかに難しい・・・。ただ、世の中に出ても案外なんとかなるんじゃない?ということはふと思う瞬間もある。ポジティブな人と話しているときは、私の悩みは思ったよりちっぽけじゃないのかと感じる。もっともニュースだとかネットだとかで不安を煽ることが沢山入ってくる中、それをいちいち間に受けて必要以上に左右されてしまうので、入ってくる情報自体を少し狭めて意識的に見ないようにしてみたり、対面でのコミュニケーションの機会を増やしていくのがいいんじゃないかと思っている。




そんないい加減にやるなんてありえない!

本に出てくる直樹さんが要領の良い拓也さんに怒りを覚える場面がある。
適当にすまそう、さっさとやろう、伝われば良い・・・いい加減で責任を持っていないように見えて許せない。とてもわかる。

カウンセリングの際、「毎日やったことリスト」をカウンセラーさんに見てもらっているのだけれど、私はきっちりしているらしい。そんな自覚はなく、むしろもっと細かい人はいるしもっと細かくなりたい・・・。だが気付くと最低でもこの基準まで持ってこないとやってないも同じくらいな感覚になっている・・・。だから、本当に何も手につかなくて何をする気力もないときはリストの更新自体が止まる。1日1個で良いという当初の基準では1個何か書けばいいし、書くのはチラシ裏でも何でもいいんだけれど、それを自分が許容できない。おそらく、何かを継続させるための練習くらいで始めた簡単な日課(そもそもフリーハンドで線が曲がろうが関係ないのに趣旨を忘れ、些細なことに全力でこだわる)に対し勝手に作ったマイルールの基準がやたらと高い、結果、調子が良いときは問題ないが不調なときに継続ができない。
あと、無意識にそれを他人にも適用させようとしているのかもしれない・・・。
もしかしたら「こんなもんじゃだめだ、当たり前じゃだめだ、プラスアルファを考えないと!」というのが常に根底にあるのかも・・・。




「心配しない人=いい加減な人」ではない

自分が出来ないことを簡単にしているように見える人に嫉妬する気持ちはある。友達が多い人だとか、仕事などで成功しているように見える人、なるほどと心動かされる言葉を発する人、自分との関係が近いほどに嫉妬してしまう自分がいる。でもその人たちは決してがんばっていないわけではなく、私が勝手に羨ましいだけだと知っている。自分には出来ないからと勝手に思って勝手に僻んでいるだけだということをわかっている。
たぶん私も友達欲しいし成功したいし立派なこと言いたい。



思い込みの奥の根っこにあるもの

・私は行動してはならない
・私は決めてはならない
・私は重要ではない

行動にブレーキをかける不安の根本原因として上記のインナーメッセージが挙げられている。これは自分の性格に加えて子どもの頃の親との関わりかたが関係あるようだ。

今となっては役に立たないが、子どものときは生き残る際に重要であったメッセージだとのこと。




不安の感情を処理する秘訣

誤った思い込みであるインナーメッセージを変えるためには、自分の中にあるメッセージを受け止め、その時の感情を処理することのようだ。

不安を減らすための感情処理の基本は、元々その不安を感じ始めた原初場面で、不安な気持ちはもとより、それ以外にどんな気持ちであったかを理解し、受け入れることです。

考えるのではなく、感じる。想像して再体験する。・・・なんだかアダルトチルドレンインナーチャイルドをよしよしするケアのよう・・・?
この方法は以前やろうとして、幼かったころの自分が想像できなくて断念した覚えがあるけれど・・・。起きたことの事実を考えたり、人がどう言ったかとかじゃなくて、自分がどう思ったかに敏感になるということだろうか。
確かに、「嫌だとはっきり言ったら我がままな奴みたいだから言わない」等、あれこれ気にした結果全部言わないほうに倒して、実は自分の感情を把握していないところはあるかもしれない。
嫌なら嫌と思ってもいい。


原初場面にてあのとき一番言われたかったことを自分に言ってあげる・・・ということが、不安の原因に対するケアになるらしいのだが、私の幼少期は鼻持ちならない妙な自信の持ち主で言われたことを簡単に鵜呑みにして有頂天になったので、もし本当に言ってもらっていたら酷い自信家になっていたのではと思わないでもない。あと、羊母上のことを言いたいことを言える人と認識できて色々聞いてもらったおかげで、過去に対するこだわりもだいぶ薄まったように思う。今はそんなに気にしていない。私に限っては今後意識するとしたら感情の自覚のほうかと思う。

ふむ、私は自分よしよしが想像できなくてどうしようと思っていたが、直接親に言う方法を取って不安を取り除こうとしたのか・・・?この本を読む前から意図せずとも解決に向かっていたのかもしれない。話を聞いてくれようと頑張ってくれた羊母ありがとう。