羊の羊による羊のための攻略Book

羊のおニート脱出日記

鶏モモが美味しい

本の感想がなかなかまとまらないから短い日記を書く。



最近料理とか全然する余力がなかったのでもういっそきっぱり諦めて冷食お弁当お惣菜生活をしていたのですが、いまいち味気ないな・・・と思って。
いや、最近の冷食すごいと思うんだけどね。

あと身体のためにもう少し健康に気を遣わないと・・・とは思うんだけれど、私の日常生活への全力度をもう少し調整しないと、食事に全力!!毎日の大半を節約や食事メニュー考えて終わるか、もしくは作り置き1週間した結果食べていい期限の判断できなくておなかを壊したりするから。しかも外出先の冷房ききすぎておなか壊してるんだと思ってた・・・。食事が当たってるとは全く思っていなかった・・・。

最近は食べきれないからとりあえず1品だけ作る方式。(沢山作っても食べきれず時が過ぎて怪しい、でも捨てるって概念がないので限界超えて食べてしまう結果の毎日胃もたれが起こる・・・)

自分の限界把握の出来なささを感じる・・・。

使い切れないのでカット野菜買ってきてみたり混ぜて焼くだけのキットとかを選んでみたりしている。
久し振りに(お惣菜のように加工されていない)生のお肉を買って(それでも切るのがハードル高すぎてカット済みだけど・・・)、「鶏モモと焼くだけ!」セット。

カット済みとかキットを買うと結果としてお高くなるんだけど、節約を考えすぎたら多分行き過ぎるから・・・。やってるうちにちょっとずつ自分で切る食材にシフト出来たらいいな・・・。

だがフライパンひとつで焼いているだけであふれ出る「私・・・料理したぞ!」実感。
はて料理とは・・・?ってなってるけど。いいの。私の料理した感が満足していっちょまえに自炊した気になって自己肯定感が上がってるから。

自分で料理した(と言い張る)お料理は美味しいね。レンチンの冷食より美味しい。(私は何も味付けしてないけど)何より鶏モモがプリプリだったので、鶏のお肉美味しいなって久々に思いました。またお料理しよ。

「働きたくない」というあなたへ②/山田ズーニー

「働きたくない」というあなたへをよんで色々と思ったこと、感じたこと、自分の傾向と対策、自戒。
その2。

その1はこちら。
sleepingsheep3.hatenablog.com

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洗濯したら雨が降っていた話

こんにちは、羊です。

カウンセリングで「今週何もしてないんです・・・」という報告しかしてない期間が続いたので、1日ひとつ何かしたことを記録してカウンセラーさんに見せるという試みをしています。

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「働きたくない」というあなたへ①/山田ズーニー

多分私は決して「働きたくない」と思っている訳ではない。むしろ働きたい。

でも働くためには理由が必要で、明確な目標がないとどこにも雇って貰えない。私は多分色々ふわっとしている人間なので、何もなくてちょっと行き詰っている。いや、責任を負いたくないだけなのかもしれない(私の思い込みなだけで雇ってくれるところはあるかもしれない、技術もないくせに私の理想が高すぎてより好んでいるかもしれない)

最近孤独が極まって、社会で自分の存在意義を感じるにはやっぱり働くことだ。とやっと実感するに至った。働きたいとは思っている。人のお金で生きることは肩身が狭いということも身をもってわかった。私は自分自身の力で生きられるようになりたい。

この結論に達するまでに、今まで何度も人が働く意味や生きる意味について考えなければならなかったし、今も少し迷うとそこに行き着いて哲学的な問いでぐるぐるしてしまう。・・・自分のお金で生きたいというくせに働かなければ生きていけないという危機感が実のところ全くないのが目下の悩みではある。本当に自分でも意味がわからないくらいにない。親不孝だとか甘えだとか言われても仕方ない。(最近ちょっとこの状態から脱したいという気持ちが出てきた、甘えといわれることも覚悟しなければ何も進まないという心持ちが出てきた。が、私の頑固な概念を覆すには「普通だから」「常識だから」のアプローチではきっと足りないんだと思うし、自分の非を指摘されるのはわかってはいてもやっぱりちょっと怖くもある。ドキドキしている)

人のために仕事をするんだという気持ちや、なぜ嫌なことを我慢してまで生きていかなければならないのかという、当たり前のことが根本的に理解できない。(理屈としてそういう概念が存在することはわかる、人生は楽しいことばかりでないこともわかる。自分が色々な愛情を当たり前にかけて貰って生きてきたということもちょっとだけわかるようになった)でもそれが自分の腑に落ちる形で納得することができず、社会を担う者として後世にフィードバックする立場の年齢であること、自分が当然のようにすることなのだという結論にどうしても繋がらない。困っている。

多くの人はきっとそんなところで疑問を持たないだろうということもわかるけれど自分はそれで納得できないからそこで躓いて、考えすぎて一歩も踏み出せずに何も出来ないといった事態に陥る。これを言うとものすごく自己中心的であることは承知しているのだけれど、私は自分のためにならないことや自分が損をすることが本当に許せないんだと感じることがある。自分が大事にされたいされたいで、いつまでも他人に対してリターンを返すという段階に行き着かない。寛容性に欠けている身勝手な人間なんだと思う。働かなくても生きていけてしまう有り難い環境にある恩恵を感じきれていない不届き者なのかもしれない。でも他人に嘘がつけない(嘘をつくのはいけないことだと思っている)上に自分の気持ちにも嘘がつけないので、適当なことを言って割り切って面接を通って就職するなんていう器用さや図太さがない。困っている。

私は働きたくない訳ではないが、何が何でも働くんだという感覚が驚くくらいない。なので働きたくない心理を働きたいと思わせる為の何かがこの本に書いてあるのではないかと手に取った。

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必要とされたい

自覚があるんだけれど、超絶後ろ向きな思考で困っている。

自分はどこにも必要とされないんじゃないかという思考。

今いえるのは、今の私はとても後ろ向きな思考でぐるぐるしていて、それ以外の可能性が欠片も思いつかないということ。多分考えすぎだっていうのはわかる。多分なんでそんな思考になるのかわからないってきっと言われると思う。でも考えると全部そこにいく。なんでそうなるのか自分でもよくわからないけど、自分の思考のクセは知っておかないといけないんじゃないかと思うので書いておく。

なぜ必要とされないと思ったのか。

・私が何の利益も提供できない、むしろ私が存在することによって誰かへの不利益が発生すると思っているから。

そう思うに至った根底は多分以下の通り。

・生産性のない人間に価値はないと思っているから。

・努力のできない人間に価値はないと思っているから。

・価値のない人間に労力をかけることは対価に見合わないと思っているから。

・人はそれ相応の生き方をすべきという偏見があるから。

でも、だからこそ努力をして必要とされたいというハングリー精神がないのは何故なのか。私が甘えた人間だからなのか。

・努力の方向性がわからない。

・やりたいことがわからない。

・どうせできないくせにやりたいなどと言ってはいけないと思っている。

・自信がない。

・常に発言は一環していなければならないと思っている。

・甘えた自分、ダメな自分を否定されるのが怖い。

だから何もしない、できない。

・・・何の解決にもなってない。

例えやりたかったことじゃなくても、良い人間関係さえ形成できればその職場で頑張れるんじゃないか、だからやりたいことに拘りすぎずに出来ることをしたらいいんじゃないかと思ったりもする。

その人間関係が構築できない。

自分はどこにも必要とされないんじゃないか

またここに着地してしまう・・・。

でもプライドだけは高いので、必要とされたいけど消費されたい訳ではない。人間として扱われたいし尊敬される人でありたい。できないできない言うくせに選り好みする自分はきっと図々しくてめんどくさいからどこからも必要とされない。

一度このくだらないプライドをへし折ることが必要なんだろうか・・・。