羊の羊による羊のための攻略Book

羊のおニート脱出日記

自閉っ子は必ず成長する/服巻智子

(まだ気がするの段階ではあるけれど)傾向が多分あるので、読んでみた。まとめ、感想。
同時に自分の考え方のクセについて考えてみる。




立場をわきまえる

社会に出て就職して適応していく場合に必要なこと(それらが自分にできそうか?の把握)
・お礼をいうこと
→おそらくできる。が、他に色々言わなければいけないことがあると忘れる。言うタイミングを逃しやすくもある。
・指示系統や上下関係の把握
→わかるが、タテマエとかが若干わからない。人に応じた適切な距離感というものも若干わかっていない。本当はこうあるべきではあるけど、実際そうなっていないというのが苦手。そうなっていないのは何故かというのを多方面からの知識で補って、ではその現状に対してこうすることが周囲にとっても自分にとっても良いということが腑に落ちれば理解する。
・立場や越権行為などの概念を理解
メンクリのお医者さん、カウンセラーさん、支援センターの支援員さんという現状1番関わる場面においてもそれぞれに何を相談したらよいか混乱する。それは、私が以下のことでつまづくから。
 □それぞれの担当分野が何かということの概念はわかる。
 □自分の相談事がどこに属するものであるのかの判断が難しい。(棲み分けがきっちりされている事柄であれば多分わかる)
 □私の判断できなささに対して周囲が時としてイレギュラーな対応を取ってくれているのではということはわかるが、自分の中でルール通りではないのはいけないことだと思っている節があるため混乱する。



会社って利益を出さないといけないんだ

自分が就職するときに「会社員」のイメージがわかなかったという例があったが、私にもこれは当てはまっているかもしれない。仕事とは決まった時間帯に帰って来られて、家族が一緒にご飯を食べられるものだと思っていた。(おそらく時間内に仕事を終わらせるスキルを持っていたり、その立場に立つだけの資格や経験を持っていたり、そのためにしていたであろう努力はあったのだと思うが自分に落とし込む形での想像ができなかった)
だから私には残業があることでどうなるかがあまりよくわかっていなかった。でも残業もしなきゃいけない時があるぞっていう概念は世間の認識で知っていた。自分もやるものだとは思っていて、会社のために残業できるか?という質問にピンとこなかった。だってやるのが当たり前なんでしょ?ならやるしかないじゃんって(自分に出来るかは念頭に置けていない)。いや、今やあまり奨励されたものでもないかもしれないけれど。

会社に行って、そこで与えられた仕事を要求される水準できちんとやりとげ、結果を出して初めて給料がもらえる

だからお金にピンときてないのかもしれない・・・。仕事をしてる人って凄いな・・・。いや、私もできるようにならないといけないんだけど。
それも残業ありきではなく、時間内にそれをクリアできるように・・・。

職場って、うちのNPOなんかもそうなんですが、一騎当千の人を求めているんですよね。一人で千人分の仕事をしてくれるような人を。自ら気がついてやってくれそうな人を。そのほうがコストがかからないし。


「指示待ち人間」が嫌われる、とか、コミュニケーション能力、とか。理想はたくさんネットにも本にも転がっている。わかる。利益を出せなきゃ雇ってもらえない。理屈はわかる。最低限は誰しも求められるっていうのもわかる。 会社は慈善団体じゃないのもわかる。

ただ、それが自分にできるかどうかは別問題である。そしてここまで来たらもう多分がむしゃらな努力でなんとかなる問題ではない気がする。

4月に大きな入社式に出るような大卒新社会人エリートが持っているような要素は多分私にはない。だがないならないなりに何かできるようにならないと雇ってもらえない。
その何かとは何なのか、どこまでのスキルなのか・・・。

自分の出来ることと出来ないことの把握、出来ないことをどこまで捨てていいか人に頼んでもいいか、会社が望んでいる能力と自分の能力との釣り合いがとれているか、なかったらどうしたらいいか。
この歳になってもわからないことだらけだな・・・。

私に合った形で貢献できるような会社はあるんだろか。視野を広げてみなくては。



自分が努力する

多分、私ができる努力は以下の通り
・こだわりや思い込みによる頑固さ(認知の歪み)を自分で引っくり返せるように本から多面的な見識を得る
・思っていることを伝える練習をするために言葉にする・文字を書く
・できない原因を追求する
・自分のできる範囲を把握する
・自分の体調や疲労度を記録をつけることで把握する

好きな仕事伝説

仕事をするというのがどういうことであるかがピンとこないから本からあらゆる考えを摂取する。

通常、仕事というのはまず「食い扶持を稼ぐ」ことが目的です。
・・・
定型脳にとって「食い扶持を稼ぐ」ことは「当然」だからわざわざ言わないだけなのですが、
・・・
自閉脳は哲学的思考を求めるので、ついつい「食べるために働く」という基本的なことを見逃してしまう可能性が高いですから。


見逃してるとは思わないけれど刺さってはいない気がする・・・。私に当事者意識が無いからかもしれない。
当事者意識を持つにはどうしたらいいか・・・うーん、徹底的に金額を出す・・・。多分「お金のことは気にしないで」って言われたら私本気で気にしない気がするから。
家計簿をまた始められるようにしよう。

理屈は知ってる、でもピンとは来ないってこと、本当にたくさんある・・・。なんでこんなに自分に刺さらないのか危機感がないのか。危機感が無いことに対して自分はきっとおかしいっていう危機感を感じている。



仕事って、自分の大事な誰か・何かを守るためにあえてする苦労

この一文を読んで、母はこのために家族のために働いてくれているのではないかということが初めて(?)腑に落ちた。

私はそれに対して何も返せていない。

うーん・・・。

きっと両親に対する恩返しっていうのは色んな形があるっていうのは知っている。
両親とうまくいかない家庭では顔すら見せないこともあるかもしれない。

私は多分実家に戻らないことを酷い裏切りのように思っている。そのことを乗り越えられていない。

ちょっとこのことについてこれ以上考えるのはよろしくないのでこのへんにしておく。